家族はいつまであたたかく、幸せだったか

自分が生まれた時、両親は笑顔だったと思う

自分でいうのも何だけど、両親にとって

とても可愛い赤ちゃんだった

と想像する

 

そういう人たちだ

 

弟も生まれ、2人の可愛い子どもと

つつましく暮らしていて

いわゆる温かい、幸せな家族だったと思う

 

だけど

 

母のイライラが目立ってきていた

24時間イライラしているようにみえた

すぐに沸騰した

こわかった

 

それは、当然、自分のせいだと思った

(大人になって、いろいろあったんだろうと解るようになったけど)

 

 

話をするとキレられる

話さなくてもキレられる

 

笑顔はやめた

可愛くない子になった

 

 

あの頃、こにくたらしい子供だったのだろうか

 

 

 

一人暮らしするまで、ずっと

お互いイライラしていた

24時間、年中無休で

 

もう

尋常ではない

イ・ラ・イ・ラで体中満たされてた

 

10代はそれだけ 

 

 

 

戻って何かできる訳ではないのに

思い出す

 

 

 

 

両親はどうだろう

こんな、子供との悲しい記憶

悲しい

 

 

もう一生楽しい事なんて無いかもよ?

(仮にだよ)

もう一生、「楽しい!!」って興奮するような

泣いて大喜びするような

そんな事がなくても不思議では無い

 

人の記憶なんて完璧じゃないから

ほとんどの事は忘れてしまう

 

 

ものすごくものすごく楽しかった事

忘れているだけかもしれない

嫌な事はいっぱい思い出してしまうけど

それ以上に楽しかった事がいっぱいあって

ただ忘れているだけだ

そう、きっとそう

 

 

もうそれ以上楽しい事があったらバチがあたるんじゃないかってくらい

円グラフを埋め尽くしてしまった

 

 

それを、忘れてるんだ

 

 

 

だからこれから、平坦な毎日でも釣り合いはとれる

語学から学んだ日本人の感覚

タイで数日、タイ人先生のタイ語教室へ通った。
旅行で使いたいと思ったフレーズを尋ねた。

 

レストランとかフードコートで、量が多そうな時の
「少なくよそって(盛り付けて)ください」

 

すると先生に、そんな言い方は無い、と言われた。
もし言っても意味が通じず、変な顔をされるだろうと。
食べられないなら残せばいいし、タイ人にそういう感覚は(まだ)無い

のだそうだ。
でも、日本人のそういう感覚はわかる
と付け加えてくれた先生はさすが。

 

語学が暮らしと密着している事を感じた

 

直訳というものを考えさせられた

模倣犯、容疑者Xの献身

今更っなんだけど

宮部みゆきの『模倣犯

東野圭吾の『容疑者Xの献身

 

読みました

人気みたいなので

 

 

どうしよう

両方とも、

 

ふーん・・・

 

 

となってしまった。

(警察ってこんなにまごつくか?)

疲れたからかな

それとも、平和ボケかも

 

 

好みもあるし、その時々で捉え方も違うだろうから

まあ、今回は仕方ない

 

 

でも小説家ってすごいね

男子たるもの

LGBTがオープンになってきている昨今だが

 

私は、『男子』のイメージってのが抜けきれない

 

小学校の頃、すこし憧れた、男子の世界。

 

・ 野球少年団とか、サッカー少年団にはいっている

・ 遠足のおやつはしょっぱいものが多い(うまい棒、カツ、イカ)

・ 常に何人かでつるんでいて、楽しそう(女子が入れない感じ)

・ 基本的に女子っぽいものは持たない(お下がりとかはある)

 

 

こんなところかな。

こーゆう考えも、古くなりつつあるんだろうな

 

ギャップに驚くとかも、なくなるのかな  

嫌いな人がいる時

職場に嫌いな人がいる

 

普通の事だ

 

で、その時どうしたらいいか

 

その人に羨ましがられるような

凄い人間になれば良い

 

 

その人の手に届かないような

その人にとって雲の上の存在のような

そんな人間になればよい

 

 

 

雲の上から見下ろせば

嫌いな人が小さく小さく、見えるだろう

湊かなえの小説を久しぶりに読んだ(少女)

湊かなえを知ったのは、ベタだけど『告白』という小説

映画では無い

 

発売してすぐに職場の人に勧められて、

買って読んだ。

(勧めた人は遠くにいるので借りられないため)

 

 

とても、読みやすかったのでサクサク読めた。

普通に話としては面白かったので、第一印象の良い作家さんとなった

 

 

ドラマにもなったりして、メジャーになったけど

あれっ?って思ったりもした

 

 

先日、『少女』を読んで、やっぱり読みやすいなとは思った。

 

 

構えなくていい感じ。専門知識も必要ないし、調べなきゃわからないような事柄もない。それがいいのかな。

 

 

すごい面白いかと言われると、そうでもないかもしれない

 

 

ドラマとか、小説とか全部見たわけじゃないけど

あまりおもしろくない…

と思う事もあったのは否めない

 

 

振り返ると、それは話のせいじゃないのでは?

 

 

メディアとかの紹介の仕方で、勝手にイメージが出来上がってしまって、それと違うから、『期待と違う』だけなのかなって

 

 

●『ミステリー』と書いてある事がある→ミステリーか??

ミステリーと言われると、小難しい謎解きとか、想像もつかないようなサプライズを期待しちゃう。ミステリーじゃない気がする(自分にとっては)

 

ミステリーと書いてなかったら、淡々と読めたはず。と思うと、読んだ(見た)あと勿体無い気はした。映画のカテゴリーでいうと、『ミステリー』というよりは『ドラマ』って感じがする。

 

 

●『衝撃のラスト』ととかいう表現

これも、やめたほうがいいと思った。正直、隣の部屋とか、そこら辺にありそうな事柄な気がした。少なくとも、読んだ(見た)ものに関しては。

 

この表現のせいで、あれ??終わってしまった…てなっちゃう。

 

 

もちろん、どう紹介されてようと、読んで結果的に面白ければいいんだろうけど(期待の方が勝ってしまった)。湊かなえの作品は、変にハードルあげない方がいい気がした。

 

 

 

ネットサーフィンとか、たまたまやってたドラマを見るとか

時間が空いたからするスマホのゲームとか

それくらいの肩肘張らない感じで読める良さだってある