100年前がどんどんと新しくなってゆく
今から100年前は
2017-100=1917
1917年
今から50年後の100年前は
1967年
そのうち
私も、100年前の人間となるんだ
今日食べた、黄色いキウイがとても美味しかった。
こんな人間です
家族はいつまであたたかく、幸せだったか
自分が生まれた時、両親は笑顔だったと思う
自分でいうのも何だけど、両親にとって
とても可愛い赤ちゃんだった
と想像する
そういう人たちだ
弟も生まれ、2人の可愛い子どもと
つつましく暮らしていて
いわゆる温かい、幸せな家族だったと思う
だけど
母のイライラが目立ってきていた
24時間イライラしているようにみえた
すぐに沸騰した
こわかった
それは、当然、自分のせいだと思った
(大人になって、いろいろあったんだろうと解るようになったけど)
話をするとキレられる
話さなくてもキレられる
笑顔はやめた
可愛くない子になった
あの頃、こにくたらしい子供だったのだろうか
一人暮らしするまで、ずっと
お互いイライラしていた
24時間、年中無休で
もう
尋常ではない
イ・ラ・イ・ラで体中満たされてた
10代はそれだけ
戻って何かできる訳ではないのに
思い出す
両親はどうだろう
こんな、子供との悲しい記憶
悲しい
もう一生楽しい事なんて無いかもよ?
(仮にだよ)
もう一生、「楽しい!!」って興奮するような
泣いて大喜びするような
そんな事がなくても不思議では無い
人の記憶なんて完璧じゃないから
ほとんどの事は忘れてしまう
ものすごくものすごく楽しかった事
忘れているだけかもしれない
嫌な事はいっぱい思い出してしまうけど
それ以上に楽しかった事がいっぱいあって
ただ忘れているだけだ
そう、きっとそう
もうそれ以上楽しい事があったらバチがあたるんじゃないかってくらい
円グラフを埋め尽くしてしまった
それを、忘れてるんだ
だからこれから、平坦な毎日でも釣り合いはとれる
語学から学んだ日本人の感覚
タイで数日、タイ人先生のタイ語教室へ通った。
旅行で使いたいと思ったフレーズを尋ねた。
レストランとかフードコートで、量が多そうな時の
「少なくよそって(盛り付けて)ください」
すると先生に、そんな言い方は無い、と言われた。
もし言っても意味が通じず、変な顔をされるだろうと。
食べられないなら残せばいいし、タイ人にそういう感覚は(まだ)無い
のだそうだ。
でも、日本人のそういう感覚はわかる
と付け加えてくれた先生はさすが。
語学が暮らしと密着している事を感じた
直訳というものを考えさせられた
嫌いな人がいる時
職場に嫌いな人がいる
普通の事だ
で、その時どうしたらいいか
その人に羨ましがられるような
凄い人間になれば良い
その人の手に届かないような
その人にとって雲の上の存在のような
そんな人間になればよい
雲の上から見下ろせば
嫌いな人が小さく小さく、見えるだろう