さようならは悲しくない

さようならは、悲しいとは限らない

 

さようならが悲しかったら、映画を見終わってさようならは悲しい事になる

 

さようならは、一瞬、悲しいような気持ちになるだけで

さようなら自体は悲しいわけでもない

 

 

さようならの前に何をしていた?

 

 

さようならだけに焦点をあてて悲しむ事もない

 

 

 

楽しい思い出や、温かい思い出

ひとつの区切り

 

今までありがとう

これまでの時間楽しめた

 

 

そういうさようなら

 

 

 

諦めか、選択か

やりたい事はいろいろある

 

諦めると言ったら少し悲しい感じなので、

ただの選択と考える事もできる

 

たとえば

キューバダイビングを何回かしてみたけど

まともにやるには相当お金がかかる

 

中途半端にとか、たまにならできるけど

性格的に、そんなんで大丈夫か自信ない

 

 

もやもやしそう

毎月行きたいとか、行けないとか、お金足りないとか

そんな事考えて悩みたくない

 

 

それならいっそのこと、決別しようかとも思う

 

 

選択肢から外すのだ

 

 

こんな風にしていかないと、

全てが中途半端になる

 

 

全てを常時継続的にするほど、稼げない

 

 

厳選するしかない

 

 

家族はいつまであたたかく、幸せだったか

自分が生まれた時、両親は笑顔だったと思う

自分でいうのも何だけど、両親にとって

とても可愛い赤ちゃんだった

と想像する

 

そういう人たちだ

 

弟も生まれ、2人の可愛い子どもと

つつましく暮らしていて

いわゆる温かい、幸せな家族だったと思う

 

だけど

 

母のイライラが目立ってきていた

24時間イライラしているようにみえた

すぐに沸騰した

こわかった

 

それは、当然、自分のせいだと思った

(大人になって、いろいろあったんだろうと解るようになったけど)

 

 

話をするとキレられる

話さなくてもキレられる

 

笑顔はやめた

可愛くない子になった

 

 

あの頃、こにくたらしい子供だったのだろうか

 

 

 

一人暮らしするまで、ずっと

お互いイライラしていた

24時間、年中無休で

 

もう

尋常ではない

イ・ラ・イ・ラで体中満たされてた

 

10代はそれだけ 

 

 

 

戻って何かできる訳ではないのに

思い出す

 

 

 

 

両親はどうだろう

こんな、子供との悲しい記憶

悲しい

 

 

もう一生楽しい事なんて無いかもよ?

(仮にだよ)

もう一生、「楽しい!!」って興奮するような

泣いて大喜びするような

そんな事がなくても不思議では無い

 

人の記憶なんて完璧じゃないから

ほとんどの事は忘れてしまう

 

 

ものすごくものすごく楽しかった事

忘れているだけかもしれない

嫌な事はいっぱい思い出してしまうけど

それ以上に楽しかった事がいっぱいあって

ただ忘れているだけだ

そう、きっとそう

 

 

もうそれ以上楽しい事があったらバチがあたるんじゃないかってくらい

円グラフを埋め尽くしてしまった

 

 

それを、忘れてるんだ

 

 

 

だからこれから、平坦な毎日でも釣り合いはとれる

語学から学んだ日本人の感覚

タイで数日、タイ人先生のタイ語教室へ通った。
旅行で使いたいと思ったフレーズを尋ねた。

 

レストランとかフードコートで、量が多そうな時の
「少なくよそって(盛り付けて)ください」

 

すると先生に、そんな言い方は無い、と言われた。
もし言っても意味が通じず、変な顔をされるだろうと。
食べられないなら残せばいいし、タイ人にそういう感覚は(まだ)無い

のだそうだ。
でも、日本人のそういう感覚はわかる
と付け加えてくれた先生はさすが。

 

語学が暮らしと密着している事を感じた

 

直訳というものを考えさせられた