職場の歓送迎会

職場の歓送迎会

開かれるのは、なんとなく、の流れだと思う。

 

年賀状とか、お歳暮みたいなものに近い気がする。

 

来る人や、去る人のためとかいうのは建前だ。

そうしないといけないと思う人が言い出すだけ。

 

つまり、自分のため?

歓送迎会を開かない罪悪感から逃れたいだけ

普通、やるもんだよね?という意識から来ているだけと思う。

 

歓送迎会、やりましたー、これでいいよね。

そんな感じ。

(それが悪いとはいわない)

 

 

もちろん、その人の事が本当に好きで、最後に盛り上げたいとか

けじめとか、区切りもあるかもしれないし

 

来る人去る人が、飲み会好きだったり、みんなでわいわいしたい人なら

実際楽しめるとは思うけど

 

 

 

理由が、来る人去る人のためを思うなら、みんなの会費分、

そのままその人に渡した方が、喜ぶんじゃないの?

 

 

参加者20人だとして、1人4000円だったら、8万円。

じゃあ、8万円あげればいいじゃん。

下世話だけど

 

別に、歓送迎会が、悪いと言いたい訳じゃない

 

 

歓送迎会をむやみに正当化しようとして

参加すべき!不参加者は社会人としてありえない

 

という意見には、賛同できない

 

それは、心のどこかで、不参加者を羨ましく思っているから

という場合もあるのではないかな

 

 

歓迎や送迎なんて、飲み会の場じゃなくてもできる

職場で、始業前とか、仕事終わった後とかでもいい

 

 

新しく来た人には

「この職場へようこそ!これからよろしくね」

と笑顔で向かえたり

 

去る人には、

「今まで本当にありがとう」と手紙でも渡してハグして

ちょっとお話してさようなら

 

 

その後の歓送迎会は、参加は基本自由でいいんじゃないかな

(業務なら行かねばだけど)

 

 

 

披露宴や葬式にも、似ているかな?(違うか)

休日とか連休という表現

休日とか連休という表現に違和感をもっていた

 

実際土日が仕事が休みとしても、仕事が休みなだけでそれを「休日」というなんて、仕事で回っている人生みたいで嫌

 

(土日祝仕事の人にも変な表現)

 

とか思っていたけど

 

 

別に変じゃなかった!

 

そうか、この「休日」「連休」という言葉は、何もみんなの事を言っているのではない

 

私の事でもない

 

お役所の事を言っているのだ

 

 

もちろん、土日祝に働いている公務員、お役所仕事もある

でも、一般的に市役所とかは休館で、その事を言っているのだ

 

 

 

さようならは悲しくない

さようならは、悲しいとは限らない

 

さようならが悲しかったら、映画を見終わってさようならは悲しい事になる

 

さようならは、一瞬、悲しいような気持ちになるだけで

さようなら自体は悲しいわけでもない

 

 

さようならの前に何をしていた?

 

 

さようならだけに焦点をあてて悲しむ事もない

 

 

 

楽しい思い出や、温かい思い出

ひとつの区切り

 

今までありがとう

これまでの時間楽しめた

 

 

そういうさようなら

 

 

 

胸をはれるような

過去の自分には会えないけどっさ

 

会うことなんてないけど

 

がっかりさせたくないよね

 

子供の頃の自分をがっかりさせるような人生は嫌だなあ

 

もうすでに

がっかりさせてるかも

 

いや、まだまだ

まだリベンジはある

諦めか、選択か

やりたい事はいろいろある

 

諦めると言ったら少し悲しい感じなので、

ただの選択と考える事もできる

 

たとえば

キューバダイビングを何回かしてみたけど

まともにやるには相当お金がかかる

 

中途半端にとか、たまにならできるけど

性格的に、そんなんで大丈夫か自信ない

 

 

もやもやしそう

毎月行きたいとか、行けないとか、お金足りないとか

そんな事考えて悩みたくない

 

 

それならいっそのこと、決別しようかとも思う

 

 

選択肢から外すのだ

 

 

こんな風にしていかないと、

全てが中途半端になる

 

 

全てを常時継続的にするほど、稼げない

 

 

厳選するしかない