湊かなえの小説を久しぶりに読んだ(少女)

湊かなえを知ったのは、ベタだけど『告白』という小説

映画では無い

 

発売してすぐに職場の人に勧められて、

買って読んだ。

(勧めた人は遠くにいるので借りられないため)

 

 

とても、読みやすかったのでサクサク読めた。

普通に話としては面白かったので、第一印象の良い作家さんとなった

 

 

ドラマにもなったりして、メジャーになったけど

あれっ?って思ったりもした

 

 

先日、『少女』を読んで、やっぱり読みやすいなとは思った。

 

 

構えなくていい感じ。専門知識も必要ないし、調べなきゃわからないような事柄もない。それがいいのかな。

 

 

すごい面白いかと言われると、そうでもないかもしれない

 

 

ドラマとか、小説とか全部見たわけじゃないけど

あまりおもしろくない…

と思う事もあったのは否めない

 

 

振り返ると、それは話のせいじゃないのでは?

 

 

メディアとかの紹介の仕方で、勝手にイメージが出来上がってしまって、それと違うから、『期待と違う』だけなのかなって

 

 

●『ミステリー』と書いてある事がある→ミステリーか??

ミステリーと言われると、小難しい謎解きとか、想像もつかないようなサプライズを期待しちゃう。ミステリーじゃない気がする(自分にとっては)

 

ミステリーと書いてなかったら、淡々と読めたはず。と思うと、読んだ(見た)あと勿体無い気はした。映画のカテゴリーでいうと、『ミステリー』というよりは『ドラマ』って感じがする。

 

 

●『衝撃のラスト』ととかいう表現

これも、やめたほうがいいと思った。正直、隣の部屋とか、そこら辺にありそうな事柄な気がした。少なくとも、読んだ(見た)ものに関しては。

 

この表現のせいで、あれ??終わってしまった…てなっちゃう。

 

 

もちろん、どう紹介されてようと、読んで結果的に面白ければいいんだろうけど(期待の方が勝ってしまった)。湊かなえの作品は、変にハードルあげない方がいい気がした。

 

 

 

ネットサーフィンとか、たまたまやってたドラマを見るとか

時間が空いたからするスマホのゲームとか

それくらいの肩肘張らない感じで読める良さだってある

 

 

 

 

 

次に使う人の事を考えて

って、よく聞くよね

 

『次に使う誰か知らない人のために』

この慣習すてき

 

別にさりげない事でいいんだよ

 

例えば、洗った後の濡れた手でドアノブをビシャビシャにしないとかね

 

 

↑これは昔むかし、お手洗いで

どこかの母親が子供に言ってたんだ

 

『そんな濡れた手で触ったら次の人困るでしょ』

みたいなそんな事を、子供に言っていて

なななんて素敵なお母様

 

 

と思ったんだ。

 

 

すごい、この母。

こんな教えをできる人はそうそうおりませぬよ?

 

 

こんなエレガントな人になりたいなあ

 

 

 

自分がいろんな事を当たり前にできるのは

誰かの努力や気遣いのお陰なんだ

 

 

時々、当たり前の裏側を考えよう

ふるさと納税の金額

ふるさと納税してる

 

そしてもちろん、持ち出しが2000円ぴったりになるようにしたい

 

でも、難しいのは、その年の給与額でその額が決まると言う事

前年の給与ではない

 

 

給与なんて、残業数などで変わるし

臨時収入だってはいるかも?しれないし

はっきりした額は12月末までわからない

 

でも、ふるさと納税(寄付)自体も12月までに終わらせなければいけない

 

 

だから大抵、大体の予想の元で額を決めるはめになる

 

 

サイトで計算してみると、自分の場合は

20万円違うだけで、理想の額が変わるところにいる

 

 

ちょっと貧乏くさいけど、やっぱり持ち出しは2000円でおさめたいから

考えちゃう

ふるさと納税の金額

ふるさと納税してる

 

そしてもちろん、持ち出しが2000円ぴったりになるようにしたい

 

でも、難しいのは、その年の給与額でその額が決まると言う事

前年の給与ではない

 

 

給与なんて、残業数などで変わるし

臨時収入だってはいるかも?しれないし

はっきりした額は12月末までわからない

 

でも、ふるさと納税(寄付)自体も12月までに終わらせなければいけない

 

 

だから大抵、大体の予想の元で額を決めるはめになる

 

 

サイトで計算してみると、自分の場合は

20万円違うだけで、理想の額が変わるところにいる

 

 

ちょっと貧乏くさいけど、やっぱり持ち出しは2000円でおさめたいから

考えちゃう

「コスパが良い・悪い」「改悪」という表現を考える

コスパが良い」

「改悪」

 

普通に使っていたけど、最近、あまり好きな表現ではなくなっている

注意して使うようにしている。

なんだか、モヤモヤするから。

 

これらの表現は、割りと最近でてきた気がする。

 

 

「改悪」はいろいろな場面で使われている。

 

例えば

商品のアップグレード時に、かえって消費者にとって使いにくくなった時。(よかれと思って的な)

 

あの便利な機能がなくなった

ボタンの配置が変わった

変な形になった

こんな機能要らないのに

違う!そうじゃない

 

 

そういう時、自分にとって「改悪」な感じ

 

 

でも、なんでも「改悪」とするのはモヤモヤする

特に、サービスに関して。

 

 

 

ポイント制度の改悪!とか表現よくみるけど

そもそも、あっただけでも有り難いようなサービスが

減ったり無くなったら「改悪」というのは、

なんか言い過ぎな気がする

 

 

「悪」かな・・・。

 

 

 

 

500円の義理チョコを300円にしたら

パッケージに凝ったとしても

改悪!とか言われるのかね

 

 

 

 

 

コスパが良い・悪い」も主観的な感じ

 

 

最近思うんだ

 

 

これ、高っ!

 

 

て思っても、

 

いや、自分の経済力のせいか

この商品は、高くない。

価格相応の価値がある

 

 

そんな商品はたくさんある

 

 

正直「コスパいい♪」と感じるのは嬉しい事だけど

 

 

自分がコスパ良かったらどうだろうか?

 

 

 

コスパがいい自分 → 安い給料で、誰よりも有能に働く。超便利。

 

 

そういうこと?

会社にとっては「いやーーー君コスパいい!」てなる

 

 

でも、あまり安いと嫌だ・・・

それ相応の対価欲しいよね

 

 

そんな事を考えると

コスパいい」って怖いなと思った

 

 

 

 

 

 

 

マフィンを食べ損なった

今日、朝起きたら、マフィンを食べ損なったのを覚えていた

 

(たぶん)夢の中で、大きなマフィンを

 

生地自体が茶色くて、たぶんココア生地

チョコチップがついていた

 

 

夢じゃないかもしれない

 

もう1つの世界かもしれない

こっちの世界に起きた後に

そのマフィンを食べたのかな